キャリア3年
私は趣味が少なく、何か夢中になれる物を探していました。
3年前の初冬社長が今週社員を連れて舟釣りに行くけど来ないか?と誘われました。
まさか私が釣りなんて、本人はもとより誰も想像しません。舟に乗るのが好きな私は
即返事をしましたが、さて困りました。釣りは全く経験がない。
しかし、経験が有る無しに関わらず、釣りに行くからには同僚に負けたくない。
社長の釣り仲間で、釣果は別にして「キャリア」は人一倍あるIさんに相談をしました。
道具は社長が貸してくれるが、釣り方がわからない。真剣に聞く私に、Iさんは
「素人が簡単に釣れる訳がない」というような見下した目をして、「社長の仕掛けだったら
そのまま竿をたらして、舟の上で酒でも飲んでいればいずれ魚が来るから」と無責任な
事を言います。あー、私はそんないい加減な事を聞きたくて相談したのではない。
相談する相手を間違った。社長に相談すると基本的なことを解りやすく教えてくれたが、
何しろ未経験の為イメージが湧いてこない。
「今回は初体験だから、坊主でも仕方ないか」と自分を納得させました。
当日5隻に別れ、社長と同じ舟に乗り、ポイントまで行くのに勝負を捨てた私は
モンキーターンのまねをして一人はしゃいでいました。
ポイントに着くと船頭さんが「釣っていいよー」と声を張り上げました。
社長の大切な「名竿」と「針」にエサまでつけて渡され、さあ下ろしてみと言われたので
竿を下ろすと同時に竿がしなり、手にはなんとも言いがたい感触が伝わってきました。
他に仲間の舟4隻も、皆このポイントを選び近くにいます。
私は大きな声で「来たー」と叫び注目を浴びながら、人生始めて経験する感触を
楽しみながらリールを巻きました。
5本針に5匹の鯵がついていました。最初は、魚を針から外すのは船頭さんがして
エサまでつけてくれます。これはまるでワークスの待遇だ。
暫らくして、いよいよ自分でエサをつけ魚を外し始めました。まわりの同僚も、
そこそこ釣っているが鯵とか鰹が多い。私は底まで落とし少し巻き上げると、物凄い
当たりが有り「ウォー」と声をあげたら社長がすぐ来てくれ、竿のしなりを見て「これは鯛だ」
と言い、ドラックの強さを確認し、ゆっくり巻けば上がるからと上げるまで見ていてくれました。
船頭さんがタモですくって一安心。それはそれは形の良い石鯛でした隣の舟の連中は
魚を見て大変悔しがっている。
初心者なのに経験者達より先んじて釣り上げた。 この勝ち誇ったいやらしい満足感。
こんなにいやらしい満足感は、釣り以外では味わえない。これが釣りの醍醐味かと考える。
間もなく、社長が私より大きな石鯛を釣り上げた。束の間の優越感でしたが、未だ同僚
には勝っている。不気味に一人ニヤニヤ笑っている私でした。
そんなこんなで楽しい釣りも終わり夕方は、釣った魚の試食会。自分で釣った魚の
旨い事このうえない。私は、厭味たっぷりに「さあベテラン釣師のみなさん、この石鯛は
本当に美味しいから食べて」と勧めると、苦虫を噛み潰したような顔をした同僚は、
箸をつけながら、妬みと悔しさのあまり、「社長の完全ワークスだから釣れた」とか、
「運だけだ」とか、「プライベートでは絶対釣れない」とか、ボロクソに言われました。
何を言われようとも、石鯛を釣ったのは私なんだからと、すっかり調子に乗り
あの時の手に伝わる竿の感触が忘れられず、社長と同じ竿を苦労して手に入れました。
「さあ釣るぞ」と大いに意気込みましたが、それからの一年は苦痛と屈辱の日々でした。
写真を前に、魚とのやりとりを自慢げに、またこれ見よがしに語る同僚の
能書きをご拝聴し、テーブル一杯に並んだ魚料理を、正座して有り難く頂戴している
私でした。
そんな苦しみを味わったそれからの私は、肩の力を抜いて楽しみとして
太公望を決め込んでいます。
